平成20年2月15日

               紀行文
                   
老いのやけくそ金剛登山
                  小川誠二郎

日置荘小学校6年生の5月に金剛山に登ったのが最初で、その後三中の3年間毎年
5月に、そして三国の3年間毎年5月に、合計7回登りました。

小学校のときは翌日立てないほど足が痛くなりました。

毎度河内長野駅から歩いて頂上往復、正味1,125メートルの標高差、
水平距離片道12kmを運動靴と弁当で登りました。

その後、金剛山はいまどうなっているだろうか、一度また登りたいものよと
かねがね思っていました。

山は、私より5歳若い妻が若いときからやっていて、私は60歳を過ぎて
から夫唱婦随の逆、婦唱夫随で始めました。住んでいる町の山の会「岳人あびこ」に
入会してやっています。60人ぐらい会員が居て、私は二番長老です。冬山テントの
雪組や、岩組、沢組、はたまたハイキング組までいろいろ居ます。

会員の半分ぐらいがリーダーで、各リーダーが年間2、3の山行計画を立てて、
参加者を募って実施しています。私もリーダーの端くれをやっていて、年に2回ほど
私がリーダーの山行をしています。

この2年ほど、岩、沢、雪の心得を一通り勉強しています。

同行の皆さんにご迷惑をかけてはいけないと思って、ダブルストックの四つん
這いでひいひい言いながらついて行っていますが、ときにはやっぱりブレーキ役を
演じています。

さて金剛山。村元さんや河村さんから、また、インターネットで情報を集めると、
積雪50センチながら、登山者が多くて、登山道は整備されていて踏み固められて
いるということなので、多分夏用の靴に6本爪の軽アイゼンでいいだろうと判断
しました。しかし、登りは単独なので、何があっても大丈夫なようにと用心して、
また、冬のトレーニングにもなると思い、普通の冬山装備、冬靴と12本爪アイゼン、
ピッケルもお守りとして持って、鶏を裂くに牛刀をもってする形にしました。
それでも、テントや鍋やガスコンロや食材などを持たないので、普通の冬山装備よりは
楽な形です。

時間のスケジュールは、河内長野駅から登山口まで30分ほどバスで行って、
そこから歩いて頂上まで、早くて1時間半、ゆっくりで2時間と予想しました。
ロープウェイで来る皆さんは10:30河内長野駅集合、10:57のバスで来て
ロープウェイを使って12:00頂上の国民宿舎「香楠荘」着の予定。これに
落ち合うには、河内長野駅発07:57のバスに間に合って乗れれば余裕だが、
次の08:57のバスでは頂上の葛木神社から「香楠荘」まで尾根歩き30分と
見てぎりぎりと予想しました。

前日の12日は夜7時からその山の会の会議があるので夜行バスとしました。
この方が朝の機動性が楽な面があります。夜行バスはときどき利用しています。
安い上に両方の日がフルに使えるので便利です。3列シートのバスと4列のがあります。
3列が楽ですが料金は高くなります。私はもっぱら4列の通路側を買います。
少し飲んで乗り込めば、窮屈と思いながらも眠ってしまうので、どうということは
ありません。リクライニングシートは135度ぐらいに傾きます。夜中に一度どこかの
パーキングエリアでトイレ休憩と時間調整があります。眠る秘訣は
U字型の空気枕です。
これを首に巻き付けておけば、よく眠れます。これを思い付かないうちは、朝、
首が痛くなっていましたが、これで解決しました。お客は「青春ドリーム号」という
だけあって、ほとんどは若者。中年サラリーマンが2、3人。たぶん私が最長老
でしょう。毎度大抵そんなものです。

今回バスはすいていて隣席は空でした。22:00東京駅八重洲口出発は順調で
したが、栗東で雪のため渋滞して15分遅れ、07:10湊町の
OCAT
(オーキャット)着。なんばまで10分歩いて07:23発準急橋本行に乗りました。
もともとこれに乗るのが時間的に順当なところ、しかし、これでは河内長野駅発
07:57金剛山登山口行バスに間に合うかどうかというところ。電車の河内長野駅着が
07:56、走ってバス停に来てみましたがバスは出た後でした。次のバスは
1時間後の08:57。昔のように歩くと、河内長野駅から金剛山登山口まで
約10km、かえって遅くなります。タクシーだと4千円という。仕方が無い、
08:57のバスにしました。1時間待ちです。

昔、終戦をこの地で迎えましたので、長野小学校とその門の前の坂を下ったところの
西代町の住んでいた長屋の辺りをショートセンチメンタルジャーニー、荷物を背負った
まま散歩しました。15分ぐらい前に駅に戻ると、バスを待つ人だかり。しまったと
思って、コンビニで朝飯を仕入れて乗ったら、ようやく最後尾の席が取れて、あとから
来た10人ぐらいは立ったまま。同年代の老人が多く、女性が7割か、というところ
でした。

バスは時間通り出発。回り道して日東町を通って、昔歩いた道に戻ってバスは
ぐんぐん登ります。地図で見ると河内長野駅から登山口まで約10km。標高差
500m。これをバスに運んで貰うわけです。バス代は470円。なんのことはない。
昔にくらべてずいぶん楽な登山になっています。水平距離では登山口から頂上までは
約2km、これを歩けばいいことになっています。

バスを降りると皆さんが歩くので、方向を確かめたり、道を確認したりする必要なし。
ダブルストックを使って皆さんにくっついて歩き始めました。09:36登山口出発。
アイゼンは重いから、雪が柔かいなら付けないで登ろうと思って歩き始めましたが、
雪は凍っていて硬い。おまけに流れ水が凍っていて滑る。最初の階段にさしかかる
手前の屋根とベンチのあるところでスパッツとアイゼンを着用しました。

単独なので気楽にゆっくりペースで登りました。早い人に追い抜かれ、遅い人を
追い抜き、しかしそれはほんのときたまで、ほとんどは一人の気楽旅です。道は広くて
すれ違いも追い抜きも楽にできます。下りて来る人が結構居てすれ違います。朝早く
から登ったのでしょう。登り道は傾斜のきついところはほとんどないし、歩幅の大きい
岩場はなし。石段や木の階段はあるものの、雪をかぶっているので、アイゼンと
ストックで楽に登れます。道の両側に木の柵があるので、道に迷うことはないでしょう。
霧氷を眺めながらゆっくり登りました。被服調整や給水休憩やエネルギー補給など、
ときどき休憩して、腕時計の高度計を見ながらペース配分を考えて、11:30
頂上着を予定して登りました。登山口の高度500mから登り始めて、700m、
800mと来ると、あとは自然に高度が上がって、丁度11:30に頂上の
転法輪寺前に着きました。2時間弱のゆっくりペースでした。

感心したというか、正直に言えばあきれ返ったことには、大きい立て看板があって、
50回以上登拝者、100回以上登拝者の名札が並んでいます。その先にはまた同じ
大きさの立て看板があって、こちらは1,000回以上から、はては10,000回
以上の人の名札が並んでいます。富士山に次いで登山者の多い山なのだそうです。


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雪の原の転法輪寺前が頂上とされているそうですが、一番高いところはその先の
葛木神社だそうで、そこまで道の両側に赤い灯篭の並ぶなだらかな雪の登り道を
歩きました。赤い灯篭には楠正成の菊水の印が付いています。葛木神社の前で
写真のシャッターを押して貰ったおじさんに「よく来られるのですか」と聞いた
ところ、「あと1回で400回になります」と言うので、「えーっ、400回ですか」
と言ったら、手を横に振って、「400回なんて、とても大きい顔はできないんですよ」
とのことでした。立て看板を思えばさもありなんというところです。生涯8回目の
私は前途程通し、まだまだ長生きせんとあかんみたいです。三角点は葛木神社の神域の
中にあって、触るために入ることはできないとのことでした。

さて、11:40になってしまったので、香楠荘へ急ぎます。尾根道のゆるい下り坂
です。両側は杉林です。薄い粉雪が降って来ました。右手に展望台のあるところを
通過してからやや大きく下って、12:06香楠荘着。遅れたと思って店の人に
聞いてみましたが、皆さんはまだ到着していない様子、と思ったところに井狩さんが
現れて、やれ安心。「写真を撮るからすぐ来い」で入り口の前に集まっていた皆さんに
合流。感激しました。写真を撮って香楠荘に入って、うどんパーティー。

鍋焼きうどんを注文しましたが、永楽さんがおにぎりを半分分けてくれました。
永楽さんとは1955年卒業以来、毎年年賀状を交して53年ぶりの再会でした。
大場晴美さんが「私を覚えてる?」なんぞと。「中学2年のとき、ひとつの机に
並んで座ってましたやんか。伊藤晴美さん、いまは苗字はなんでしたかねえ」
「大場です」「そうですか、そうですか、私を覚えてる?やて、そんなん、
忘れることなんかありますかいな、伊藤さんと並ぶのが楽しみで毎日学校に通うて
たんですよ」。もうこの歳になったら、枯れてしもてますよって人畜無害、
なんでも言い放題です。岩崎悦子さんとは中学1年で同じ組やったし、西谷佐和子さん
とは2年の松倉ホームで同じ組で、北野田のご自宅でクラスの新年会をやって頂いて
夢のひとときを味わったことでした。村上さんはご主人を亡くされてこの山楽会に
入って立ち直られたとか。

男性の皆様ともあらためて顔を合わせて、長生きはするもんやなあと感慨ひとしお
のものがありました。

私は50歳寸前で急性骨髄性白血病にかかって、いっときはもうあかんと言われて
ましたけど、どういうわけか死に損ないました。この病気は真面目で几帳面な人が
かかる病気ですねんと人には言うてます。50歳で生まれ変わって「御破算で願い
ましては」の人生やり直しをやってるつもりです。コンピューター時代は「リセット」と
言うらしいですけど、やり直し人生のいま21歳、来年は就職して定年まで勤めな
あかんなあと思てるとこです。そうは言うても、どこまで行けるか判らんよって、
とにかく、山でも旅行でも、行けるとこまで行ってみたれと、老いのやけくそでやって
るところです。

さて、下山にかかります。皆さんそれぞれアイゼンを着けて、雪景色や霧氷を
見ながらだらだら坂の道を登って葛木神社にお参りをして、転法輪寺前で休憩、
いよいよアイゼンを利かせて下ります。アイゼンは初めてという方も居られましたが、
よく頑張られました。


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途中で会った若者は長靴で登りも下りも滑りながら行くと言って実演して見せて
くれました。アイゼンを着けると滑れないから早く行けないんだそうです。こういう人が
1万回組なのでしょう。その人には頂上に行って来たあとの下りで追い抜かれました。
天狗のような人間です。

16:44のバスに乗るという村元リーダーの指導よろしきを得て、途中休憩を入れ
ながらも16:15バス停そばの休憩所まで下山できて、バスにゆうゆう間に合いました。
バスでは最後尾の席に井狩、児玉両氏と座って、もっぱら井狩さんの世界文明文化の
ご高説。世界史の菊池先生に聞いて頂きたかった話が沢山出ました。眠るひまも
なく17:30河内長野駅着。即、反省会。



そのあとはおいしくて強い酒を頂いて、えーと、おとなしくしていたつもりですけど、
そうでもなかったみたいで、定かな記憶はございませんが、なにはともあれ、皆様の
すばらしい行事に参加させて頂いて、感謝感激の山行でした。
またの機会を捉えてまたお世話になりたいと存じます。今後とも何卒よろしく
お願い申し上げます。

散会後は中百舌鳥の都福仁氏宅に泊めて貰って、そこに集まった杉野英(金偏)造氏、
和田朗氏(いつもの中野陽典氏は今回不参加)と清談、それは別の機会に。

                                        以上