7/9佐野さんの案内で、満願寺、多田神社  阪急宝塚線山本駅
北側からスタート、住宅地平井山荘を抜け、 最明寺滝。すこし
戻って長尾山系の東端を通過、三洋電機の社長別邸前を通過。
西国霊場札所満願寺へ。
  愛宕原ゴルフ場横を通り、湯山台に出て西多田・御社橋から
源氏発祥の多田神社へ。
 ここから能勢電多田駅まで歩き、このまま居酒屋に向けて帰路に
つくには余力がありすぎるということで逆方向の妙見山をめざしました。
ロープウエーとリフトが特別割引料金各\100で、景色はよかったし、
えらい得した気分やなと喜んだのでした。このコースは山楽会の
ネタに使うことに決まりました。登りか下りが徒歩となりますとB級
でしょうか。
 
 帰路突如表れた大都市のような能勢電終点川西能勢口にて乾杯。
そして井狩さんの豊富な話題をビールと焼き鳥とともに満喫させて
いただいたのでした。

 気温はそう高くもなく、時々そよ風に恵まれ、雲は日光を遮り
おかげで苦行とはなりませんでした。
 当日朝、前日の阪神巨人戦、圧倒的な勝利の記事満載の新聞を
井狩さんは電車の中で読破してしまったのか、集合の山本駅の売店で、
こちらに向かって挨拶される前に、もう一つのスポーツ紙を購入。
 今日はあちらはグライシンガーだから負けてもいいやと話あっ
ていたのでしたが、甲子園球場は土砂降りで中止。川西地方では
ぱらつく程度だったのでしたが。

 残念だったのは女性がおられなかったこと。 お菓子のほうは無しか
と思ったのですが、河村さんがチョコレート、佐野さんが氷砂糖を用意
してくれておりました。
                            岩壷克哉 記


 金太郎(きんたろう)は、坂田金時(さかたのきんとき、公時とも)の幼名。
金太郎にはいくつも伝説が存在するが、静岡県駿東郡小山町の
金時神社(金太郎が祭られている神社)に記されたものによると、
天暦10年(956年)5月に誕生したという。彫物師十兵衛の娘、
八重桐(やえぎり)が京にのぼった時、宮中に仕えていた坂田蔵人(くらんど)
と結ばれ懐妊した子供とされる。八重桐は故郷に帰り金太郎を産んだが、
坂田が亡くなってしまったため、京へ帰らず故郷で育てることにした。
 成長した金太郎は足柄山で熊と相撲をとり、母に孝行する元気で優しい
子供に育った。
 そして天延4年3月21日(976年4月28日)、足柄峠にさしかかった源頼光と
出会い、その力量を認められて家来となる。名前も坂田金時(きんとき)と
改名し、京にのぼって頼光四天王の一人となる。なお、他には渡辺綱、
卜部季武、碓井貞光が四天王に名を連ねる。


愛宕原ゴルフ場を横切る。

 天禄元年(970)に創建され、元多田院とも、また、多田大権現社とも
言われ、関西日光の称ある大社。
 御祭神は、第五十六代清和天皇のひ孫贈正一位鎮守府将軍源満仲公を
はじめ、頼光、頼信、頼義、義家の五公をお祀りしていることから、
源氏発祥の地と言われている。
 

能勢妙見山の正式名称 (引用文)
 能勢妙見山には鳥居があり「妙見宮」とも呼ばれますが、『日蓮宗霊場能勢妙見山』とあるように、日蓮宗のお寺です。能勢妙見山は、能勢町地黄の眞如寺の飛び地境内となっており、正式には「無漏山眞如寺境外(けいがい)仏堂能勢妙見山」といいます。昔は、神仏習合といい同じ場所で神様と仏様をお祀りしていましたので、妙見大菩薩を仏教と同時に神道式に崇めよういうことで鳥居が残されています。明治になって、神仏分離(1868年)が行なわれ、能勢妙見山はその沿革から、寺院として再認識されることになりました。

このあたり、地図で見ると500-600メートル台の山ばかりなのに深山の感じです。
妙見山が660米、遠くに見える剣尾山は784米で、あとは500米台。
                                   (井狩 註)