2010.12.10.(金) 京都府南部の笠置山、
児玉、平野、山田、田所、岩壷の5名男性ばかりだったが山田氏のナビゲートでハイキングして
きました。 楠木正成がこの地の戦で後醍醐天皇のもとにはせ参じデビューした
ということを知ったのでした。
夕方、天王寺駅に戻り居酒屋で乾杯、今回の主たる話題は日清日露戦争後の
日本国の歩み、料理オーダー主任は児玉氏で珍しかったのはトマト焼き、ニンニク
丸焼き、全体に美味しかったが、居酒屋に関する反省点はやはり阿倍野地区でも
王将を検索すべきであったことでした。

   JR天王寺駅
山田さんはすこし若いおばちゃんたちに頼られておりました。

元弘の乱 後醍醐天皇は三種の神器を保持して笠置山にて
挙兵、篭城した。
     師走に張り切る唐辛子
       ここでお弁当
                    田所さんの弁当は大きい
        2006年4月、井狩、石田、西谷、森本、岩壷もここを歩いたね。
             轟々たる滝を背景に
歴史のおさらいであるが
 1331年に鎌倉幕府の倒幕計画が発覚した後醍醐天皇は三種の神器を保持して
笠置山にて挙兵、篭城して元弘の乱の発端となった。 楠木正成は天皇側近の文観と
接点があったらしく、正成は頼られていたとされる。 持明院統と大覚寺統との間で
紛議が起こっており、文保元年(1317年)には幕府の調停によって持明院統と
大覚寺統が交代で皇位を継承をすることとされたのであるが、大覚寺統の
後醍醐天皇は一代限りの中継ぎと見なされていたのに自身の直系の子孫に
皇位が継承されることを望み、そのためには障害になるであろう幕府を打倒することを
企てたが発覚した。 この笠置山での挙兵、篭城は成功せず陥落した。