小川 誠二郎君を悼む

8月13日午後13時30分頃私が北広島の自宅の庭に出ている間に小川君の奥様から電話があったのを知り直ぐに折り返し電話して君の逝去を知りました。ある程度の事情は知っていましたが、後せめて数年は元気でいてもらいたいと願っていましたので残念で胸が締め付けられる思いでした。特に昨年秋からの君の病との苦闘ぶりを身近に感じていただけに、さぞ苦しかったのではないかと、哀悼の念を禁じ得ません。思い返せば、三国ヶ丘高校の1年生で同じ広田組になり、あまり話すこともなく過ごしましたが、受験勉強を本格的に始めた2年生の松倉ホームの夏ごろから急に親しくなりました。私は彼のおおらかな心を持ちながら意志の強い正義感に惹かれたようです。旅好きだった君が逝った今改めて楽しかった色々な場面が思い出されます。
 君は東大に私は阪大に入りましたが、その後も一緒によく遊びました。結婚後は家族ぐるみの付き合いをするようになりました。君が就職してトルコに長期滞在した時の話、機器入札の様子やイワシバケツ一杯が6円など面白く話してくれました。短期間でトルコ語を話すようになったのには驚いたものです。本当に英語など語学は堪能でしたね。君のようにユーモアと才能にあふれた人はあまりいません。私は君のようになりたいとよく思ったものです。君と知り合って私は幸せでした。東京に行った時にはお宅によく泊めていただきました。また、長男省一郎君の結婚式に呼ばれたり、課長昇格の時は銀座で一杯だけブランデーをごちそうになったり、私が三菱重工の君の事務所を訪問した夕方会社がテロリストにより爆破されたりしました。君は三菱重工を退職後はアメリカの会社との合弁会社の社長になり重工内に事務所を持っていたので、時々お邪魔したものです。合弁会社を退職の時アメリカ大使館裏のアメリカクラブに君が奥さんと招待された席に私も同席させてくれたりしましたね。夜遅く君の家に奥さん共々タクシーで帰ったのを鮮明に覚えています。
 君は私が北海道に居る時も来てくれましたが、私が阪大退職後は大阪に来ると「都ホテル」と称して我が家に泊まるようになりましたね。
正確な病名と病気の前後は忘れましたが白血病を数年かけて克服し、更にインドネシアで野菜サラダを食べ寄生虫が肝臓に入り年末から正月を挟んで風邪と誤診されたりしましたが、危うく一命を取り留めましたね。君の強靭な精神力により全て全快したのは驚きと共に感激しました。しかし、手術の時の輸血によりC型肝炎にかかったのが命取りになりました。C型肝炎になると後年癌が発生するようで、肝炎にさえなっていなければと思うと、当時の医療事情とはいえ誠に残念でなりません。5年ほど前に癌が見つかり苦しい闘病生活が始まったようです。奥様は随分心配しておられましたが、良く耐え君の自由な行動を見守っておられました。なかなかできない立派な態度だと感心していました。毎年治療のため入院し入院の合間に自動車で東北や九州方面を旅行して各地方の山を登っていましたね。鹿児島の開聞岳は何度か登ったようで、ご先祖が熊本出身なので九州の阿蘇などの山が好きだったのですね。道の駅やコンビニエンス・ストアの前に駐車して寝泊まりしての旅行が大好きな君でした。
 この旅行を何時までも続けてほしいと期待する一方で、旅行を楽しみながら自分の体調を調べていたのではと辛い思いに駆られることもありました。
 三国ヶ丘高校7期の同窓生の恒例の行事になっている難波のホテルで開催の7期生の同窓会に参加するため大阪に来た時や山楽会による雪中金剛登山に君は参加し我が家「都ホテル」に泊まるようになりました。私は自宅で君の来るのを待つだけの生活をしていましたが、私が自宅に籠っているのを心配して参加するよう誘ってくれました。私の腰が重いので2012年の冬には奥さんと二人で来られ、金剛登山に誘われ、私共夫婦で初めて参加しました。君のお蔭で以来高校の同窓の集まり、山楽会、同窓会、児玉音楽会、俳句の会や絵画展などあらゆる催しに参加するようになりました。退職後の生き方を教えてくれた君に大いに感謝しています。若い時の同窓は良いものですね。闘病中の君が私の健康を気遣ってくれた思いやりを忘れることが出来ません。特に、今年の4月には腹水がたまり苦しい中、私共夫婦を奥様と一緒に我孫子観音等を一生懸命に案内していただいた君の友情は一生忘れません。
 2011年には闘病の合間にピレネーのフランス側国境からスペインのサンチアゴ・ド・コンポステーラへの800kmに亘る巡礼の旅を30数日かけて敢行したのは常人では出来ないことです。君の強い精神力とどの宗教も大元は皆同じという人生観は素晴らしいものです。
2013年9月にアドリア海のクルージングに奥さんと二人で参加されその時の写真を持って我が家に来てくれましたね。9月22日に戸堂君が軟式テニス試合の発祥の地の浜寺公園に石碑を建て、君が文章を書いた石碑の除幕式に三国ヶ丘高校の同窓生10名ほどと参加した時は元気でした。あくる日一緒に高野山へ行き君が手を入れてくれた私の俳句「秋麗 友も白髪(しらが)の 高野山」を思い出しています。入院中の今年2月には病院内の売店で見つけた「図解高野山のすべて」の表題の世界遺産登録10周年記念の本を送ってくれ有難うございました。
小川君を友人に持った幸せに感謝しています。ご冥福をお祈りいたします。


                    2014年9月
                      都 福仁