神戸の街で遊ぶ・・・「神戸淡路大震災と復興」特集編

 この前、七期・外遊びクラブ「神戸の街で遊ぶ」を実施いたしましたが、その時のメニューの中に
神戸の復興ぶりを実地に行って体感する予定でしたが、雨のためのショートカットもあり、また傘を
さしての説明を落ち着いて聞けなかったこともありました。

 そこで、また森本さんにお願いして写真を使って惨状と復興振りを皆さんにアピールしたいと考えました。

 それでは三ノ宮駅前から始めたいと思います。

駅前にあるのが「そごう」です。中央部分がひどく壊れています。

そごうは建て替えよりも修復を選びました。

954月、部分解体中のそごうです。

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

これが現在のそごうです。(96年4月オープン)

 

 


元町周辺にある大丸について比べてみます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



大丸はそごうと違って全面的に建て替えという方法を選びました。右が現在の大丸です。
(97年3月オープン)
左がダメージを受けた「神戸国際会館」で、右が全面改築した現在のビルです。

(99年4月再建)

 

 

 

 

 












そごうの向かって左側にあるビルが三井信託銀行(現在は中央三井信託銀行)ですが、
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階部分が完全に圧縮され潰れています。3階部分にあった看板の「託」という字がなくなっています。

 

現在は規模を小さくしてそごうの左側に2階建てのビルとして残っています。

 

 

 

 

 

 

 

次は現在の三ノ宮駅から海側を見たところです。この通りは「フラワーロード」といっています。

中央左寄りに見えているのが神戸市役所で新しい建物だったせいか
壊れてはいません。右手前に見えているのが「交通センタービル」です。

 

 

 

 

 

 

この写真は海側から見た交通センタービルです。











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階部分がぺしゃんこに
なっていて、このビルは右側の写真のように全面的に建て替えられました。

(978月現在)

 

 

 

神戸市役所1号館の高層ビル(海側)は震災で壊れることはなかったのですが、
低層の棟・
2号館(山側)はダメージを受けました。

← 5階部分が潰れています。

現在の2号館です。

このビルも7階建てを5階建てにして
使用しています。(96年4月)

 

 

 

 

 

 

 

旧居留地十五番館の旧アメリカ領事館は明治14年の建築で唯一残っている商館でした。
でも、無残にも完全に倒壊しています。
(重要文化財)

 

 

現在の復元した十五番館です。

 

ちなみにこの建物の外回り、造園を七期会の阪口正浩さんの「グリーンスター」が施工しました。

 

これは神戸新聞ビルです。

これも全面的に建て替えられました。

(06年10月オープン)

 

三ノ宮駅から見ると南側で、この辺りでは一番大きなビルです。

 

 

 

 

手前が阪急三宮駅です。(19972月現在)

向こう側のビルが再建中の交通センタービルです。

 

下の写真が取り壊し中の阪急三宮駅ビルです。

 

 

 

 





まだまだ資料はありますが、以上の写真で神戸の復興ぶりを感じていただいたことと思いますので、
これで閉じさせて頂きます。

 

もし、もっとご覧になりたい方は下記のURLをクリックしてください。

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/photo/oogimoto/index.html 

 

 

 

もう、あの時《1995年平成7117()午前546分》から12年経ちました。

 

◆ 死者 : 6,435 行方不明者 : 3 負傷者 : 43,792

◆ 避難人数 : 30万名以上

◆ 住家被害 : 全壊104,906棟、半壊144,274棟、全半壊合計約25万棟(約46万世帯)、一部損壊390,506

◆ 火災被害 : 住家全焼6,148棟、全焼損(非住家・住家共)合計7,483棟、罹災世帯9,017世帯

◆ その他被害 : 道路10,069箇所、橋梁320箇所、河川430箇所、崖崩れ378箇所

◆ 被害総額 : 10兆円規

 

このことを私たちは忘れないようにしなければならないと思います。

阪神淡路大震災からすでに12年。 震災を実際に体感した方々は、当時の体験や防災について具体的に
伝承しようと

今もご尽力を続けておられます。  その後、中越地震(山古志村)震災や能登震災などがつづいており、
その度に阪神

淡路大震災当時の経験が活かされていることは、大変に意義のある重要なことと思います。

一方、当時の 0歳児がすでに小学校6年生。 彼らの意識の中にこれまでに伝えられてきたノウハウが
どれほど根付いて

いるか。 一部には「すでに風化が始まっている」と言う人もいるようですが、「震災」が起きる毎にでも
これまでの体験や

ノウハウが積み重ねられ、具体的な形で蓄積されて行くことが大切ではないでしょうか。

今回は神戸をとり上げましたが、神戸のみならず周辺の地域、芦屋、西宮、淡路地区や大阪北部の人たちに
対しても同様

の慰霊の気持ちが必要と思っています。

 

追伸

@0763日付朝日新聞朝刊の「あめはれくもり」というコラムで「死別 語れるまでに12年」と題し、
神戸のあしながレインボーハウスの職員・八木俊介さんが震災遺児の事例を書いておられます。
内容は当時小学生だった大学生が、親との死別体験を語りだすまで
12年の年月がかかった・・という
内容ですが、レインボーハウスのスタッフとボランティアが根気よく見守ることで心が開いていった
そうです。

神戸レインボーハウスについて http://www.ashinaga.org/house.htm をご覧ください。

 

A神戸三宮でお会いした七期生・阪口正浩さんの会社のホームページです。http://www.greenstar.co.jp/ 

 

B私ごとですが、震災のあった朝、真っ先に学校に駆けつけ被害実態の把握をいたしました。
理科室の薬品庫、校舎や教室は大きな被害がありませんでした。ガラスが
30枚ほどひびが入ったり
割れたりした程度でした。

その後、神戸淡路の被害の実態が判明するたびに心を痛めていました。職員の一人(事務職員)
ぜひボランティアに行かせてくれ、と申し入れをしてきましたので、復命することと職員たちに
実態の説明をすることを条件に職免
(職務専念義務の免除)を与えました。また、芦屋や神戸から
校区の祖父母の家に寄留し、父母と別れて登校してきた子供が
5名になりました。学籍を異動させず
特例を設けての措置です。また、卒業間近の忙しい
6年生の児童10名から、南海高野線「金剛駅」駅頭で
「募金運動」をさせてくれと申し入れがあり、子供や大人を信じて許可しました。
PTAもそのことを知り
募金活動をしてくれました。

 震災2ヵ月後の卒業式の式辞で、現地の子供たちが助け合い譲り合い我慢をしながら過ごしたこと、
わが校の
6年生が寒い中、募金活動したことや、震災の地から来た子供たちに親切にしたみんなを褒めて
あげました。

 この前、神戸を訪れて復興ぶりに感動もしました。でも、あの時の被害を受けた人への熱い思いが
薄れてきている、と自分自身反省しています。

 

Cいろんな思いの交差する神戸に、七期・外遊びクラブがまた何時かもう一度寄せてもらいたいと
思っています。

これはあの雨へのリベンジでもあります。    (文責・・村元伸行)