同級生の榎本耕策さんのお祖父様と父上のお宅は南方熊楠の家と隣同士で彼の研究に
協力されたとのこと。 お祖父様は村長もされ、熊楠の自然保護についても理解を示されて
中央政府との交渉もされております。

 南方熊楠 慶応3年-昭和16年は、日本の博物学者、生物学者(特に菌類学)、
民俗学者で、菌類学者としては粘菌の研究で知られています。
和歌山県に生まれ、東京での学生生活の後に渡米、後にイギリスに渡って大英博物館に
入りました。 後に日本に戻って、和歌山県田辺市に居を定めました。多くの論文を著し、
大学者として名を知られ、その生涯を在野で過ごしました。 彼の学問は博物学、
特に植物学を基礎とするが、熊楠の学風は、ひとつの分野に関連性のある全ての
学問を知ろうとする膨大なものであり、土蔵や那智山中にこもっていそしんだ研究からは、
曼荼羅にもなぞらえられる知識の網が産まれました。
 熊楠は「神島」(かみしま)の自然保護、また鎮守の森、、神社仏閣の樹木伐採に反対する運動もしています。
 しかし酒癖は悪いし暴力事件はたびたび起こす変人でもありました。
粘菌

父上・榎本幸治氏の神島の植物調査(下記資料より抜粋)

 ・・・陛下へのご進講後、先生は引き続き陛下ご研究用の進献標本を精力的に集められましたが、
私も文里や鳥ノ巣から舟で神島へ先生のお供をいたしました。
 父を通じて電話や葉書等で採集の依頼を受けるたびに、一人で神島へ渡って採集しまし
た。マッチやキャラメルの空ぎ箱に採集物を入れて、田辺の先生宅へお届けしました。大
抵は奥様が出てこられ、先生に渡していただきましたが、結果は電話やはがきでていねい
なお返事をいただきました。
昭和四年十月、私と父が神島で採集しました粘菌は新種神嘗アルクリアおよび榎本ペジ
ザのようで、先生は大層お喜びになりました。神島保存のため力を尽くしたと父をほめた
たえて下さる一方、榎本家の者がその神島で粘菌の新種を発見したことは、神の意による
ものだとおっしゃり、大変恐縮いたしました。
当時私は、田辺中学を出たばかりでしたので、先生と親しくお話をすることはありませ
んでしたが、神島へお供いたしました際は、粘菌や苗類だけでなく、草や樹木の説明も
よくお聞きしました。
 父が村長を辞めたころから直接、先生の指示を受けるようになりましたが、平均月
一回は先生のお供をするなり、私一人で神島に採集に渡っておりました.
神島へ出かけられるときでも、先生はいつも和服で、弁当等は持たれませんでした。
先生が私どもの宅へこられた記憶はありませんが、文里で待ち合わせて神島へ渡った
ことを覚えております。
 先生は平素やざしく、「榎本、榎本」と呼ばれ、かわいがっていただきました,
先生のおっしゃるこどは、何かしら何でも聞かんならんという気持ちがいたしまして、
今でも懐かしく思い出されます。
【榎本幸治「榎本宇三郎と神島」昭和62年12月22日 紀伊民報社よリ】